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北海幹線用水路

北海幹線用水路の概要

北海幹線用水路マップ

北海道一の長さ

赤平市の空知川にある頭首工から最下流の南幌町まで、総延長約80キロメートルにも及ぶ、国内最大の農業用水路です。


北海道一の取水量

一日の取水量は東京ドーム3杯分

北海幹線の水は、毎年 5月はじめから 8月までの約 100日間流しています。多い時で、空知川から毎秒42トン取り入れていますので、一日にすると 360万トン。東京ドーム 3杯分もの量にもなるのです。水路といっても、取り入れ口辺りは、幅が13メートル、高さ 2.6メートルもあり、11トンダンプが横に 5台並びます。

北海幹線用水路の歩み

年表

1923年(大正12年)
用排水改良事業補助要項の制定
1924年(大正13年)
空知川水系北海灌漑溝工事着手 1928年(昭和3年)
北村揚水機線通水開始
1929年(昭和4年)
石狩川治水事業の補償工事として北村揚水機場の改修
1950年(昭和25年)
空知川、石狩川よりの引用水量の大巾変更
1951年(昭和26年)
国営美唄かん排事業着手、国営大夕張地区かん排事業着手
1957年(昭和32年)
記録的な大水害 前線の停滞で豪雨
1958年(昭和33年)
2年連続記録的な大水害に見舞われる
1961年(昭和36年)
北海頭首工着工、昭和41年竣工
1962年(昭和37年)
稲作転換対策始める
1964年(昭和39年)
北海幹線夕張川サイフォン工事竣工
1970年(昭和45年)
水質汚濁防止法制定
1970年(昭和45年)
空知川水系北海灌漑溝工事竣工、通水開始
1970年(昭和45年)
空知川頭首工の改良、溝路の改良(昭和25〜31年)
1975年(昭和50年)
農業用用排水路安全施設整備事業の創設
1979年(昭和54年)
国営空知中央土地改良事業着手
1980年(昭和55年)
国営道央地区土地改良事業着手
1980年(昭和55年)
国営美唄かん排事業竣工式典
1985年(昭和60年)
頭首工(2箇所)、溜池(4箇所)、管理規程道認可
1988年(昭和63年)
8月大雨災害による北海幹線美唄川逆サイホン上流部溢水
1989年(平成元年)
道営水環境整備事業着手
1991年(平成3年)
21世紀型水田農業モデル圃場整備促進事業創設
1995年(平成7年)
農地流動化支援水利用調整事業創設
1999年(平成11年)
水田を中心とした土地利用型農業活性化対策大綱
2000年(平成12年)
国営造成施設管理体制整備促進事業

北海かんがい溝工事

農民の悲願であった、空知の農業を大きく変える大規模なかんがい事業が始まりました。

北海かんがい溝工事

国営美唄かん排事業

土水路からコンクリート水路に改善する大工事が美唄地区で始まりました。

国営美唄かん排事業

国営空知中央かん排事業

地域農業の近代化に伴って、深水揚水の増量に必要な施設改修が進められています。

国営美唄かん排事業

道営水環境整備事業

用水路を有効利用しながら、一般市民が緑と水に親しむ施設として活用していきます。

道営水環境整備事業

未来に引き継ぐために

第2回選定の北海道遺産に登録されました

豊かな稔りと潤いをつくる地域の宝物として北海道遺産に選定されました。北海灌漑溝は、一町村が自分たちの町村の水利のみを考えて計画されたことではなく、1町 6ヶ村(岩見沢町・砂川村・沼貝村・三笠山村・栗沢村・幌向村・北村)の有志が集まり、力を合わせ日本の一大米穀地帯にしようという「国づくり」発想で計画されました。地域の農民と彼らの代表による国づくりの想いと国、道、技術者たちの協力によって、全長約80キロメートルもの大灌漑溝を可能にしたのです。そして忘れてはならないのは、大型建設機械のない当時にモッコやスコップ、ツルハシなど人力による重労働で短期間の工事を支えた土工夫の人々の力です。

関係機関・関係団体の紹介